釣り人たる条件


釣り人が釣り人であるための条件は何だろう?最近よく考える。

技術・・・必要だ。探究心・・・う〜ん、コイツもあった方がいいよな。マナー・・・こりゃ

釣り人以前の問題か!?でも大切。食に対する欲・・・わたしゃやっぱコレかな?

美味いもんたくさん食いたいよな〜。コレは釣り人たる大きな原動力に間違いなし!

でもでも、私のイメージしてるものはもっと根本的な・・・突き詰めていくと・・・といった

ちょっと漠然としてて言葉では表現しにくい心・本能、なにかそんなもの。

以前職場のある釣りキチ先生から、「釣りの極意は何?」というワケのわからぬ

質問を受けたことがある。質問というよりは哲学的問いだよな〜、コレって。

そのときなぜか私は反射的に「思いやりです」と即答した。特に深く考えたという

わけではないのだが、当時はなんとなくそう思っていたし、今もその思いはたぶん

変わってないだろう。解釈の仕方によってはどうにでも取れる「答え」であるし、

説明しろと言われても自身うまく説明できない、今思い出すと「よくあんな言葉が

口をついて出てきたよな〜」と思えるくらいである。が、長年(と言えるかどうか自信は

ないが、)釣りをしてきて今考えると、あの答えはやはり正解だろう、と思える。

結果論ではあるが、私が知る「この人はすばらしい釣り師だ」と思える人にはもれなく

「あらゆる人や物、生き物に対する広い意味での思いやり」がある、もっと広く解釈

すれば、「暖かい人」であり、「素直に喜べる心の持ち主」であり、「人の心が理解できる

人」・・・つまり、釣り人である前に「人として」の部分を決してなおざりにしない人。


今ここに健児くんという私の釣り友がいる。正確に言えば、2005年1月3日に初めて

出会った。まだ友達になりたてのホヤホヤである。健児くんには、こんなオッサンから

友達呼ばわりされるのはイヤかもしれない。でも友達だ。とてもまだ出会って間もない

間柄とは思えない、いや思いたくない。彼との出会いはお母さんからの1通のメール

に始まった。「車が横付けできて、キスが釣れる場所はないですか?」・・・なんと

虫のいいメールだこと(笑)。一瞬そう思った、が、メールを読み進むにつれて次第に

状況が飲み込めてきた。わけあって健児くんは身体が不自由なのだが、「釣りたい」

という情熱は人一倍に強い。しかもこのスケベオヤジに「あこがれて」くれている模様。

うれしい!素直にうれしい!


何度かお母さんとメールをやりとりしているうちに、「ぜひ健児くんに会ってみたい」と

強く望むようになって来た。なかなかお互いの休みが一致せず、すれ違いも何度か

あったが、そのたびに健児くんのイメージが私の中で次第に膨らんで行く。止まらない。


2005年1月3日・・・私の中では記念すべき日だ。やっと出会えた。で、イメージ通り

の健児くんだ。笑顔がいい。「初めまして、健児くん。」・・・笑顔で応えてくれる健児くん。

恥ずかしがっている笑顔だ。心の中がよくわかる。少なくともこの笑顔はこのオッサン

を嫌っていない笑顔だ(笑)。


身体の不自由な人に接するのは生まれて初めてだ。正直、初対面だし、どう接して

いいのかわからない。「してあげる」という行為は健児くんにとって心地よいことなの

だろうか?上から見下ろしていることにはならないだろうか?同情の気持ち・・・

確かにある。否定は出来ない。難しい・・・だがそんなことはとりあえずどうでもいい!

物事は難しく考えれば考えるほど出口がない。とにかく一心に釣る姿を見せよう!

思いっきり遠投した。気合いが入っていたのか?140mほど沖に仕掛けが着水。

いい感じだ!何か釣れそうな気がする。健児くんの視線を感じる。横目で健児くん

を見る。目が合った。しっかりと観察されている。よしっ、がんばろう。とにかく今日は

彼に「キスのぼり」を見てもらおう!キス釣りの醍醐味をじかに見てくれ!何投目かに

やっと3連で上がってきた。今日はもうアタリが渋い。コレが精一杯だが、「ホレ、どう?」

と見せると、歓声が上がった。「自分もコレやりたい!」と思ってくれた・・・と思う。


いい出会いだ。別れ際に聞いた彼の「ありがとう!」という言葉は一生忘れない。

私にとって健児くんは「特別」な存在といっていい。身体が不自由だから?・・・

確かにそうだ!ただ、もっと正確に言えば、にもかかわらず「釣ろう」としているからだ。

竿先を見ながら「今のアタリ!?」とお母さんに指示している。主導権を握っている。

問題ない。なんら問題ない。この先健児くんは「学んでくれる」人だ。私の思う

「釣り人たる条件」である心も学んでくれるだろう。コレは私の直感だ。何の根拠もない。

だが、友達というものは直感で出来ていくものだろう。「友達になりましょう」→「いい

ですよ」の世界ではなかろう。少なくとも私の友達はそういう風にして出来た大切な

人たちばかりだ。ただ一つ問題は、健児くんが私を友達と思ってくれるかどうか、だな。


1月4日、健児くんのお母さんからメールが来た。当日釣り場には私とすすむさんが

いたのだが、メールによると、「オジサンたちのことが好き」だそうだ。どうやら「ただ

一つの問題点」はクリヤーされたようだ。よかったね〜、すすむさん♪


健児くん、ならびにお父さん、お母さん、これからもどうぞろよしくお願いします。